あとの化け物出たことねえ。

お婆ちゃんのありがたいお言葉

靴からの開放感

学校から帰って来ると、どうしても靴を脱いでしまいたい気分になる。

一日中靴下と靴に圧迫された足は開放感を求め、自宅に帰って来たとたん解放してくれと、脳に指令を出す。

5本の指の間が離れたいと訴えかけているかのごとくむずむずして、汗をかいてしっとりした足は靴下という拘束アイテムに嫌気がさしている。

玄関で靴を脱いで、1度目のすっきり感を迎えた足はさらなる開放感を求めて、靴下を脱いでしまいたい衝動に駆られてじっとはしていられない。

日本人は玄関で靴を脱ぐものという教育を受けて育つ為、なんの疑問もなく玄関という場所で靴を脱ぐことで、

玄関で靴を脱がない文化の外国人の人より、早い段階での開放感を感じることができる。

靴を脱いだだけで、あのすっきりとした開放感はなんとも言い表せないほどの快感である。

靴下はどこで脱ぐか

靴から解放された足は、まだ身にまとっている靴下を脱いでしまいたいという衝動に駆られる。

靴は暗黙の了解で玄関で脱いでしまう事になるが、はてさて靴下はどこで脱ぐのが正解なのでしょう。

お風呂に入るまで履いているのなら、洗濯機直行となりますが、すぐにでも脱いでしまいたいときはリビングで脱いで、靴下はリビングに放置になる事はよくあること。

脱いだ靴下を洗濯機に持って行くという考えがここで生まれればいいのですが、靴下を脱いで2度目のすっきり感を迎えた足は快感を覚え、脳は靴下の置き場など考えません。

足から離れてしまった、もはや用事もない靴下の行方など気にならなくなってしまいます。

靴下を見つけたお婆ちゃん

リビングに脱ぎ散らかされた靴下をお婆ちゃんは発見します。

脱いだとわかるような丸まり方をしている靴下を発見したお婆ちゃんは、1日履いてきた汚くなった靴下がリビングに転がっている事に嫌悪感を感じます。

洗濯機に入れてあげることもできるのに、そこはあえてせず、「脱いだ靴下は洗濯機に入れなさい」と優しく諭します。

でも、お婆ちゃんが脱ぎ散らかされた靴下を洗濯機に入れてしまうと、孫はリビングで脱いだ靴下はお婆ちゃんが洗濯機に持って行ってくれると思ってしまい、これから先ずっと、外出先から帰ってくるとリビングで脱いで、そこに置いておく事が当たり前になってしまいます。

孫の反論

「脱いだ靴下は洗濯機に入れなさい」のお婆ちゃんの一言に対して、孫のほとんどが「後でやる」と言います。

後っていつなんだか、明確に条件が提示されていない「あと」なんてもんは信用性がまるでありません。いくらかわいい孫の1日履いてきた靴下であっても、自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければ、将来ろくな大人にならない。

片付けてあげるのは簡単です。でも、そこでやらせなければならないと思ってくれるお婆ちゃんがありがたいのです。

お婆ちゃんの一言

孫の反論「後でやる」にたいして、怒るわけでもなく聞き入れるわけでもなく一言、「あとの化け物でたことねえ」と一瞬どういう意味?と考えさせられるフレーズを発したお婆ちゃんは偉大です。

脱いでしまった靴下の事を忘れようとしている脳が、あとの化け物でたことねえの一言で、靴下をリビングに脱ぎ散らかしている=意味不明のフレーズと連動して頭から離れなくなります。

それは、大きくなっても思い出されることで、リビングで靴下を脱いでも、お婆ちゃんが言った意味はどういうことなんだろう→靴下を脱いだときだったな→洗濯機に入れないとに繋がってしまうのはお婆ちゃんの勝ちです。

かわいがり方を間違えない

かわいいから何でもしてあげるのではなく、かわいいからこそ考え行動できる大人に成長させてあげられるように、大人ならでわのフレーズを投げかけてみてください。

記憶に残る言葉は一生忘れられないものになります。

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